立春
2020年02月04日
今日は立春。
2月に入ると必ずこの言葉を耳にしますが、正式には立春とはなんぞや?と、
検索してみると、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』がトップに出てきて、
二十四節気
立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨 立夏
小満 芒種 夏至 小暑 大暑 立秋 処暑
白露 秋分 寒露 霜降 立冬 小雪 大雪
冬至 小寒 大寒
↑
「立春(りっしゅん)は、二十四節気の第1。
正月節(旧暦12月後半から1月前半)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が315度のときで2月4日ごろ。
暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。
恒気法では冬至から1/8年(約45.66日)後で2月5日ごろ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の雨水前日までである。」
と、出てきました。
僕の認識では「暦の上では今日から春」と思っていますが、
うむー・・・。
まぁ、今日は立春ちゅう事で。
もう月末。
2020年01月31日
今年、初っ端(元旦)の新聞トップの記事で「アメリカが有人月探査計画(アルテミスプロジェクト)
をしており、日本もその計画に参加」と出ておりました。
日本の宇宙飛行士も月に行くのか?と思っておりましたが、よくよく調べると技術提供だけらしいです。
その辺で止めとく方がええんでしょう。
日本がその計画の共同となるとげっつい負担も含まれるでしょうし。
その隣の記事が自動車メーカーの元社長が秘密裏に国外に行ってしまった記事。
「そう~なんや。そんなに簡単に出国って出来るんや」と文面を読んでおりました。
楽器ケースに隠れていたとは本当なのか?と思いましたが、ケースを作っている
会社が「人は入らないで」という注意喚起をメディア広報したのには少し笑けました。
「蛇の道は蛇」とはよく言ったものですね。
映画のようにその道のプロ?にしたら闇出国なんていとも簡単なのですね。
最近はどの新聞もニュースも新型コロナウィルスの件で持ち切り。
これ以上、このウィルスもフェイクニュースも偏見も拡散してほしくないですね。
2月に入ればちょっとは明るいニュースがトップになる事を願っています。
ちょっと遠出でも。
2020年01月27日
この1月末で独立からのちょっとした一区切り(個人的に)を向えます。
それでちゅうわけでは有りませんが、行った事が無い所に旅行でも?とぼんやり考えております。
まずは北海道。
一度は行ってみたいと思っていたのですが、なかなか踏ん切りが・・。
ピュッと飛行機で行くのがいいのでしょうが、考えているのは舞鶴から出ている新日本海フェリー。
舞鶴23:50出船で小樽へは翌日20:45着の片道約21時間。
ただ北海道への難点はこの時期なら移動時の事。
最寄りの交通機関を使えばええんでしょうが、着いてからの乗り継ぎや待ち時間は苦手。
夕食の時間までに宿泊先に着かなければとか、次の出発時間に追われるのはもっと嫌なんで、
レンタカーを借りて、風の向くまま、気の向くままがええんです。
しかし車を運転するようになって42年間、雪道を運転した経験はほぼ0.
タイヤチェーンてなもん着けた事はありません。
ニュースで見る北海道の雪道を地元の方の様にスイスイと走れるのでしょうか?
次の候補は小笠原諸島。
かなり前に行く予定はしていたのですが・・・。
ここへはフェリーしか行く手立てが有りません。
東京の竹芝を11:00出船で父島へは翌日11:00着の片道24時間。
母島に行こうと思えば父島からフェリーを乗り換え。
ここまで行くんであれば釣り道具を持って行きたいところなのですが、
荷物がドッと増えるのと、どうしても釣りに没頭してしまうので、やめときまひょ。
ダイビングやクルージングやホエールウォッチングがええかな?
そして吐噶喇(トカラ)列島の宝島か悪石島。
鹿児島港23:00出船のフェリーとしま2で宝島まで約13時間。
ここへも「釣り道具」と思ってしまうのですが、うむー。
行けば何かとあるのでしょうが、調べなければ判りません。
そいでもって与論島(よろんじま)。
ここへもフェリーですね。
鹿児島港- 奄美大島- 徳之島- 沖永良部島-そして与論島。
与論島の次は沖縄が最終港。
徳之島・沖永良部で一旦下船してみるのもええですね~。
ほどほどがよろしいようで。
2020年01月23日
通勤でこれほどの雨は久しぶりのような。
傘マークが続く予報を見ては曇った顔になりますねぇ。
五風十雨からはかけ離れた天候となって久しいですが、
晴れが続き過ぎるのも、雨が続き過ぎるのも、冬が暖か過ぎるのも、
夏が涼し過ぎるのも困ったのも。
この気候変動にはいろいろな説が有るようですが、産業革命以後の
環境破壊が影響しているのは明らかでしょうね。
一人ひとりが小さなことから気を付ける事が大切です。
閑話休題
追憶。
年始に前もって名前を聞いたとはいえ、40年振りに聞く一声で顔まで
鮮明に思い浮かびました。(当然二十歳の頃の顔ですが・・・)
とは言え、「確か同級生?」と年齢を聞くと還暦を迎えたとの事。
後日にお孫さんと一緒に写っている葉書を送ってくれましたが、
正装され大勢で写っている縮小写真だったので、40年後の姿はよくわかりませんでした。
かく言う私はその当時からはちょうど20キロ程、脂肪のみを蓄え、かろうじて頭髪は残っておりますが、
白髪頭であり、血圧と尿酸値と心電図が気になる昨今であります。