いよいよ明後日、10日(日)です。
2019年11月08日
予報では当日の天気は晴れ。
若干、気温は下がるようですが、雨さえ降らなければOKです。
「万障お繰り合わせの上~」とは申しません。
秋空に誘われて、散歩がてらにお越し頂ければ幸いです。

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このブログの担当は、『佐伯 勝司』です。是非、お楽しみ下さい!
予報では当日の天気は晴れ。
若干、気温は下がるようですが、雨さえ降らなければOKです。
「万障お繰り合わせの上~」とは申しません。
秋空に誘われて、散歩がてらにお越し頂ければ幸いです。
キャンプか釣りか?と悩んだ末に徳島県の木岐へ。
AM5:45に出船と言われていたのですが、客も僕らだけからか、早々に出船。
夜明け前に船に乗るのは久々の事。
山から見る夜明けも綺麗でしょうが、海から見る夜明けも乙なものです。
いつもの如く日和佐からの渡船を待って、磯の前で揺られながらの時間潰し。
この時期に船に揺られての磯取りの時間はそう苦になりませんが、
11月の中旬から先のこの時間は心底冷えます。
その間、船頭さんと世間話や最近の釣果の事をあれこれと。
渡船業もいろいろ大変ですねぇ。
まっ、楽な仕事はおまへんわなぁーと。
徳島県では未だに餌のウニ(ムラサキウニ)が取れないとの事で、
今回の餌は馬糞ウニ。
上り潮のポイントに竿を構えてエッサラコッサラと打ち返しましたが、
塩焼サイズの石鯛が3枚、ポヨンと竿を曲げてくれました。
この時期は石垣鯛の猛攻と思っていたので、放流サイズとはいえちょっと嬉しい?誤算。
潮止まりから下り潮のポイントに移動し(と言っても2m程の移動)
あれこれと打ち返しているうちにpm14:00の納竿。
ここからは80キロの一般道と100キロの高速道路、計180キロを走って帰路へ。
途中の小松島市「豚太郎」でいつのも塩ラーメンにおでん3つを食べ、
徳島市の「あらたえの湯」で綺麗さっぱりと湯舟に浸かり、
お決まりの徳島市内の渋滞をのらりくらりと乗り越え、pm8:00過ぎに帰宅。
和歌山県方面はまだしも、徳島県方面は帰りの渋滞が寝不足も重なってやたらと堪えます。
次回は渋滞の無いであろうキャンプにしようかな?
ご近所の花屋さんの店先に「閉店に付き在庫処分」の張り紙が・・・・。
20年間の永きに渡るお礼の一文と共に貼り出せれておりました。
全く花に縁が無い僕でも確か1回か2回はお世話になった記憶がある花屋さん。
ちょっと前から「都合により午後4時に閉店します」の張り紙が有ったので、
どなたか体調でも優れないのかな?と思っておりましたが、
この度は完全に閉店となるようです。
阪神西宮駅北側の産所町の店舗から移転して、この店に来てから16年。
プラプラと歩いて行ける範囲で中津浜線沿いには来た当時からポツポツと店舗がありましたが、
ちょこちょこお世話になった店だけでも中華料理屋さん・お好み焼き屋さん・電気屋さん・焼き鳥屋さん
が閉店されており、寂しい限り。
その当時から有る店舗は銀行と医院を除いてわずかに5店舗位でしょうか?
我社は13年目に入らせて頂き、以前の「レンタルビデオ屋さんの所?」と言われなくなりました。
これからも頑張るぞ!
たまたまなのか、何かの虫の知らせなのか?
先日、昔々に買った腕時計を探して、日頃全く手の付けない場所をゴソゴソしていると
30年くらい前の釣りや旅行に行った時の懐かしい写真数十枚がひょんなところから。
笑い話の一つにでもと会社に持ってきて、福田・河合・石谷に「どやっ」と見せておりました。
笑いながら(笑われながら)見ていたものの、よくよく見ると釣りに行こうにも行けないメンバーの写真が。
徳島県の牟岐大島で磯代わりの途中か、港へ帰る途中か、甲板で操舵室をバックに3人で写っている一枚の写真。
かろうじてですが船頭さんの顔が操舵室の窓越しに写っておりました。
昭和から平成に変わった頃に着ていたDAIWAグレートバンフのライフジャケットが懐かしい。
今年の年明けに尼崎の釣具屋に行った時「牟岐大島の〇〇船頭さん、亡くなったらしいでぇ」と。
今ではそういう事をしてくれる船頭さんはいないと思いますが、「夜中の3時頃には着きます」と連絡しておけば
自宅の玄関を開けて、わざわざ人数分の布団まで敷いてくれていました。
アホの一つ覚えよろしく、毎週々、時化ていない限りは火曜日の夜10時に車に釣り道具を積んで師匠を迎えに行き、
夜中3時頃にこそーと牟岐町の船頭宅の玄関を開けて、三和土右側の和室で仮眠しておりました。
「サエキは~ん、アタリあるんけ~。」
「〇〇磯が空いとるけん、替わり~」と、
船からマイクで話す野太い声が懐かしいです。
3年ほど前に牟岐大島に行った時、大島への行き帰りの船中、操舵室に入り、頚椎ヘルニアの手術の事、
術後のリハビリの苦痛、復帰されてからもリハビリを続けている事を聞いたのが最後でした。
その節は船頭さんのみならず、奥さん、20年ほど前に他界されたお婆さんにも大変お世話になりました。
その写真に写っている一人が高校の同級生。
十数年前に発病し、手術の甲斐虚しく視力が殆ど無い状態に。
その同級生から一昨年に聞いたのは屋久島の池の鼻(ポイント名)、長崎県の男女群島で一緒に写っている奴の事。
鬼籍に入ったと・・・。
御年56歳。
今日、釣り仲間(と言っても先輩)に久々に連絡すると、30数年前に石鯛釣りを教えてくれた師匠でもあり、
和歌山県の潮岬・徳島県の牟岐大島を教えてくれた方でもあり、何十回も火曜日の夜10時に迎えに行っていた
方が先日お亡くなりになったと・・・。
教えてくれた方も亡くなられたのを後日に聞いたらしく「葬儀は身内だけで」と、奥様に聞いたとの事でした。
10年ほど前から患っていたらしく、体力の減退も有り、磯釣りからは遠ざかっていたとの事で、数年前に会った時には
「石鯛釣りは極めたし、道具も手放したわ~」と冗談半分で話したのが最後でした。
石鯛釣りでは名の通った方で、現役の頃には釣り雑誌に記事も執筆されておられましたが、ここ数年は
船釣りをしていると聞いておりました。
仕掛けの作り方・ポイントと潮の見極め方・船頭さんとの駆け引き・一級磯の取り方など、牟岐・潮岬へ向かう道中で、
また飲みに連れて行ってくれた居酒屋・スナック・小料理屋で尽きることなく面白可笑しく話してくれたり、
一級磯の一級ポイントに拘りが強く、共に竿を並べた磯の上ではその腕前を披露されっぱなしでした。
2年ほど前「道具が無いんやったら僕のが有るんで、久々に一緒に牟岐でも行きまひょや」と
師匠に話した時には病状も悪化してきた頃だったのでしょう。
「石鯛釣りはしんどいわ~」と、笑いながら話されたのは本音だったとは・・・。
他にも数名の方々と一緒に写真に収まっておりますが、重病になられたり、夜がけ朝駆けの磯釣りを卒業され、
船釣りに転向された方・磯は遠のき別の釣りに没頭されている方、釣り竿には縁遠くなった方など、寂しい限り。
30年前の十数枚の写真に写っている中で石鯛釣りを今だにしているのは、できるのは、僕だけとは・・・。
「グレ」や「石鯛」やと一声掛かれば、俺も・わしも・連れもと、車に乗り切れない程の
メンバーが揃ったのは本当に遠い昔となりました。
久々に牟岐のどこかの船頭さんを頼って、師匠と一緒に竿を並べたヤカタ・ジイ・オキソエ・
大番東・ゴマ磯に上がりたいですねぇ。
仕事をちょっと早めに切り上げて観て来ました。
想像通りにアクションが多く「このシーンはどないして撮影してんねやろ?」が多い映画でした。
映画の冒頭にも1作目・2作目のシーンが流れますし、このパンフレットの下部にもあるように、
特に2作目の「ジョン・ウィック チャプター2」を観ていなければ中盤になるまではちょっと
理解出来ない映画かも知れません。
それと、この映画に拘わらず、洋画でそのシーンが出てくるたびに思うのですが、
まだまだ日本の文化は誤解されていると言うか、イメージが先行されているのか判りませんが、
ちょっと違和感を覚えるような、なんか変に脚色されてますねぇ。
今回も日本にはそうそう無いであろう屋台風?の寿司屋が出てくるシーンが有り、
品書きも日本語でちゃんと書いてあるのですが、なーんか違和感が。
このシーンのBGMが「きゃりーぱみゅぱみゅ」の楽曲とも重なって、なーんかなーと。
それはそれにして、僕にとっては楽しめた映画でした。
続きのあるようなエンディングだったので、次回も楽しみです。
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